スタッフ日誌

2018年01月10日

音楽療法がもたらす幸福感とは〜ある日のエピソードを通して〜

昨年末、ある施設の年内ラスト・セッションで、あるスタッフさんにとても嬉しい評価をいただきました。それは、年内ラストの1つ前の回の個人セッションの対象クライエントについてのものでした。

その施設では、音楽療法事業開始から1年は、小グループの対象者セッションとアフターの全体セッションを行なっていましたが、それでは一人一人をしっかり理解して差し上げられないと判断し、以来毎回お一人ずつ、集団セッションとは別に対象者を決めて個人セッションを行なっています。

毎回お一人ずつの個人セッションは、新通所の方から順に最低1回は全員にさせていただくのですが、1回ではなかなかその方らしさを引き出せないこともあるので、2回目以降はセラピストかスタッフさんが必要と判断した方に限って行ないます。コミュニケーションの障がいの重い方ほど対象となりますが、それでも2回目以降の番が回ってくるのは1年か2年に1回となります。

Kさんは2回目でしたが、前回は1年3ヶ月前で、その時は、気になる楽器に出て来そうな手がついに出て来なくて、やや不完全燃焼に終わったのでした。けれども今回は、セッション中に手添えでスティックを握ってシンバルを叩くことができ、その他にもさまざまな笑顔や声や視線の反応が得られたのでした。

介助に付き添われたスタッフさんはおっしゃいました。

「その時(前回の個人セッションの時)、Kさんは本当に楽しい、嬉しい経験をしたんです。好きな音楽はいくつもあったけれど、音楽する場面であれほど楽しい体験をしたのは、おそらく生まれて初めてだったのではないかというくらい、それはKさんにとって貴重な体験でした。そういう体験は、どなたにとってもとても大切な体験なんです。だから今日も(年内ラスト・セッションでも)、音楽の間ずっと楽しそうで、あのKさん特有の笑い声もたくさん上げていらっしゃいました。」

人は、特別な「歓喜」の体験を一生忘れないものであると思います。そして、その体験をさせてくれた「場」の記憶もまた、一生忘れないものであることは、「記憶」は「場所」と結びついている、という最近の脳科学でのマウス実験による実証にもありました。

Kさんにとって、通所を初めて3年目の所属施設の音楽療法の場は、自分を幸せな気持ちにさせてくれる場所になったのだと考えると、まだ若いKさんがこれから何十年も過ごしていく施設であるだけに、本当によかった、と、音楽療法士冥利に尽きるケースとなりました。

また、ご自身が担当されている利用者さんのために、このような表現で音楽療法を評価のできるそのスタッフさんの介護支援者としての人間的な愛情の大きさにも感動しました。

常々お伝えしておりますが、音楽の前では、人は皆、平等です。演奏する側も聴く側も、音楽を作る側も選ぶ側も、どちらが欠けても音楽の価値は「不明」となります。逆に、音楽という「時間の芸術」で同じ時を同じ場所でともに幸せに過ごせた、という記憶は、人のありきたりな日常の笑顔を支えるのです。

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