2017年07月20日
雄太が音楽療法に通うことになったきっかけ。それは、主治医の先生に「発達が悪すぎる!」と叱られたことでした。
とにかく人とのコミュニケーションが取れず、神経が過敏で泣いてばかり…。唯一音楽にはうっとりと聴き入る様子を見せ、歌のやりとりをする時だけは私の目をしっかりと見てくれるような子だったのですが、3歳を過ぎる頃から、その音楽にもある種の拒否反応を示し始めました。
うっとり聴いていたはずなのに、曲が終わると悲しそうに泣き出してしまったり、療育施設の運動会で、流れている童謡を嫌がって、耳をふさいで逃げ出そうとしたり、私が鼻歌を歌うと、嫌がって顔をひっかきに来たり…。
途方に暮れて、そして主治医のお叱りにも背中を押されて、駆け込んだのがこの音楽室です。
先生は、これまでの話をじっくりと聞いてくださり、根気強く雄太に付き合ってくださいました。
…とはいっても、通い始めた頃の雄太は本当にひどくて、いわゆる子供向けの曲を一切受け付けず、先生が何か弾こうとすると、すかさずその手を止めに行き、自分はドラムのバチを何本も手に持って、一人の世界へ逃げ込もうとしてばかり。
そんな頃、先生が決めてくださったルールは、たしかこうでした。
「一人では遊ばない。音楽に関係のあることで遊ぶ。それさえ守れば何でもOK!」
とってもとっても自由な音楽療法でした。よくある「リトミック」ではなく、完全オーダーメイド。雄太だけの、音楽の世界。
ただ、それは1年以上も混沌としていて、素人目にはなんの進歩もないように見えました。
音楽に敏感すぎた雄太は、「まあまあ」好きなポップスなら大丈夫(刺激が強すぎない)と気付いたらしく、あるアーティストの曲を先生に弾いてもらっては、その曲に合わせてバチを持って歩き回る…ということばかり繰り返していたのです。
5歳になった頃、先生が用意してくださったのは、バスティンの「ピアノパーティ」という教本でした。
表紙にAとかBとか書いてあるので、記号大好きな自閉っ子の雄太は大喜び♪機嫌よくパラパラをページをめくったり、時には真面目に、楽譜通りのリズムをピアノで弾いたりもしはじめました(とても簡単なものです)。
中でも運命の出会いは、その一冊に掲載されていた「12しょくのわおん」でした。楽譜の方ではなく、雄太が注目したのは、まわりにカラフルに散りばめられたアルファベット!(本当はピアノコード)
普段から、何かと何かを「対応」させるのが好きで、アルファベットも大好きだった雄太が、これにはまらないわけはありませんでした。
アルファベットを指さして「G!」「B!」などと言えば、先生がその和音を弾いてくれ、その音階まで演奏してくれるので、もう嬉しくて嬉しくて!すごい吸収力で、あっという間にコードを覚えてしまいました。
そこからは、様々なジャンルの曲に自分で伴奏をつけたり、自分で演奏することを楽しむようになり、音楽を安心して受け入れられるようになっていったと思います。
これまで蓄積してきた先生との信頼感に加え、音楽の基礎を学び、音楽の楽しさを知る大きなきっかけになった、私にとっても思い出深い出来事です。
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